打 出 の 小 槌


芦屋市打出小槌町11
震災前の打出小槌町には、こんな風なお屋敷が何軒かあった
芦屋市打出小槌町11-9 撮影:2004年(平成16年) 2月25日

打出公園
打出公園 芦屋市打出小槌町15-14  撮影:2004年 4月 1日

昭和38年の打出小槌町
芦屋市打出小槌町14-10より
昭和38年(1963年)の打出小槌町町内


 “芦屋市打出小槌町”と来ると、たいていの人は「さすが芦屋」とかおっしゃる。写真の場所が打出小槌町の一角だ。すなわち打出の小槌
打出小槌町
 場所は阪神・打出駅を東南の角にして、国道2号線の南、宮川の東だ。
 打出天神社金津山古墳の西にあたる場所で、昔から自然災害の少ない地だから、古墳跡なんかも見つかってる。

 もともと、旧打出村の町名の上にはすべて“打出”が付いたんだけど、町名を短くするために取られた。一種の合理化なんだね。昭和30年代終わりころに(自治省から?)出された「住居表示を簡略化せよ」っておふれに従ってのことのようだ。
 しかし、打出小槌町は「打出小槌で一つの町名だ」とかで“打出”が残された。旧打出村で頭に“打出”が付くのはここだけだ。あ、わりと新しくできた町名で打出町ってのはあるけど…。
 しかし、お隣の西宮市には“甲子園”なんて、もっと冗長なのがつく町名がうんとこさ残ってるぞ。(笑)

 地元の人は、他の打出の町名と同じように、単に“小槌町”という。小槌町と言えば打出に決まってるからだ。(笑)

 写真を撮るために、打出小槌町らしい場所を捜してみたんだけど、なかなか見つからない。
 以前は古いお屋敷が何軒かあったんだけど、平成7年(1995年)の阪神大震災でほとんど倒壊してしまったんだ。地震で全壊してマンションになってしまった。今はわずかに立派な石垣に昔の面影を留めてるところはあるけど…。
 上の写真は京料理“わらびの里”の芦屋の店として利用されてる古いお屋敷。

 実は、芦屋のお屋敷町というと打出小槌町じゃなく、六麓荘町の辺りなんだ。次いで芦屋川流域あたりかな?
 確かに打出駅北側にも金持ちの家はあったけど、ほとんどは明治38年(1905年)に阪神電車が開通してのちに出来た海水浴用の別荘だった。
 そうした別荘は、たいていはざっとした造りで、庭の灯籠なんかもそれほど細工のいいもんじゃなかった。けど、地元の人たちの家よりは立派だったんで、昭和の初め頃まで、打出の子供達は“別荘”とは、立派な家のことを言うのだと思ってたみたいだ。(笑)

打出公園 上から2番目の写真は“打出公園”、俗称“お猿公園”だ。中央やや左の白い檻にお猿がいて、その左の檻にはインド孔雀がいる。あと、リスもいたなぁ。無料でお猿や孔雀やリスが見られる公園は珍しいらしい。
 孔雀の鳴き声を知ってる人はあんまりいないと思うけど、我輩は1年ほどこの公園の南に住んでいたので、孔雀の鳴き声はよく知ってるぞ。(笑)


お猿公園前の道路 - 打出小槌町
“お猿公園”の前の道路 撮影:1999年12月21日
お猿のジローの訃報
お猿のジローの訃報
撮影:2003年2月23日

 そうそう、震災直後しばらく、お猿の檻の前あたりにずらりと仮設トイレが並んでた。しかし、市内のあちこちに仮設トイレがあってメンテが間に合わなかったんだろう、かなりひどい状態だった。^^;

 ここの公園って、村上春樹の小説「風の歌を聴け」に出てくる。ここの前の道を猛スピードでブッ飛ばすんだけど、左の写真のように、道は結構狭いし時々違法駐車の車なんかもあるんで猛スピードは出せないと思うぞ。(笑) そりゃま、やって出来なくはないけどさ。小説だから若干のフィクションはあるっ。

 ところで、2003年2月16日に“お猿公園”のタイワンザル・ジローが亡くなった。数年前からあまり表に姿を見せなくなり、去年の暮れ頃からだったかなぁ、風邪を引いたような感じで調子が悪そうだったが、とうとう…。
 ジローが親と共にこの公園にやって来たのは昭和38(1963)年だ。だから40年間もこの公園にいてくれたことになる。人間ならとっくに100歳を越してるはず。
 悪ガキの花火に脅かされたりもしながらも、よく長生きしてくれたもんだと思う。係の人も苦労さまでした。はり紙に「午後11時に永眠」と書いてあるんで、係の人に見守られながら亡くなったんだろうか?
 我輩がジローの死を知ったのは明くる17日だったんだけど、なんだか悲しくて書けなかった。でも、初七日も過ぎたんで…。 合掌

 


打出小槌町の鳴尾−御影線
鳴尾−御影線
芦屋市打出小槌町14-12付近  撮影:2001年4月6日


 さて、「打出の小槌」ってば、一寸法師がゲットした例のアイテムだ。(笑) その昔、摂津の国 菟原(うはら)郷 打出村 に 隠里 ってところがあり、そこの“長者”が宝の槌を持ってた。その小槌を振るとなんでも願がかなうとか…。打出にそんな民話が残ってる。

 もともと、その小槌は芦屋の沖に住んでた龍神が持ってて、それを聖武天皇に献上したんだそうだ。「どうして龍神が聖武天皇に?」って聞いたら「・・・そら…、聖武天皇の徳が高かったからや」って、ごまかされた(爆) 
聖武天皇っていうから8世紀の初め、天平時代だ。当時の都は奈良の平城京。

 その頃、都にいた“長者”がなにかの手柄をたてて聖武天皇からその小槌を頂いた。その後、その“長者”は隠居して打出村に隠れ住んだ。で、その場所、隠里を「打出小槌」と呼んだとか。昔の打出“字小槌”は、現在の打出小槌町のほぼ東半分と春日町の一部
 打出の地の名前もこの「打出の小槌」に由来する、なんて説もある。

 ・・・なんだか上手くできすぎた話だと思う。もともと芦屋沖の龍神が持ってたとかね^^; でも民話とかは、ま、みんなそんなもんさっ。(笑) なぜ、打出の小槌が一寸法師が退治した鬼の手に転がり込んだかは未調査。(爆)
 で、現在、その打出の小槌はどういう経緯か、京都は山崎の宝積寺ってお寺にある。

あしやの民話の本
芦屋市立図書館で借りたから
図書館のシールが貼ってあるぞ

 ところで、この「打出の小槌」の話だが、三好美佐子氏の著書「あしやの民話」にも載っている。この本は平成11(1999)年7月に発行されたのだが、わずか千部しか刷られず、惜しいことにもう絶版。
 2003年6月9日、三好先生に直接お目に掛かる機会があったので、サイトへの転載許可をお願いしたところ、快くご承諾いただいた。いずれ独立した「あしやの民話」のサイトに全編を収録したいと準備中です。(…いつ完成することやら ^^:)

 取り敢えず、「打出の小槌」のみをここに掲載する。
 なお、内容は上に書いた筋書きとは少し異なるが、伝承者が違うからでしょうな。

 たまたま、「あしやの民話」の中から「打出の小槌」を音訳したものがあるので掲載しておく。
 ・三好美佐子著 あしやの民話より「打出の小槌」 (mp3 file: 64Kbps/22KHz 2,928KB, time 6:14)


「小槌」の名についての追記

 打出の小槌の町名の由来にはもう一つの説がある。昔、このあたりに小椎命(おうすのみこと:後の日本武尊)を祀った社なり祠があったからではないかとの説だ。小椎を「こづち」と読み、後に「小槌」の字を当てるようになったのかも知れないとのこと。(2003年6月23日:元芦屋市立美術博物館学芸員 小田博先生よりうかがう)



戻 る トップ