芦 屋 川




阪神電鉄・芦屋駅上りホームから見た芦屋川
撮影:2004年 2月15日 15:53


阪神芦屋駅南側  撮影:1999年11月5日


 芦屋川上には二つの駅がある、ひとつは阪神・芦屋駅で、もう一つはもっと上流にある阪急・芦屋川駅だ。ところで、この川は全国的にも珍しい、天井川ってやつだ。天丼川じゃない(笑)
 天井川って言ってもご覧のように、別に川に天井がある訳じゃない。むしろ、天井の上を川が流れてるって発想の方が近いかも知れない。(笑) 川床が周囲の土地より高くなってるのを天井川と言うらしい

 阪神間では、天井川は珍しくなく、神戸市東灘区の住吉川や西宮市の夙川(しゅくがわ)なんかも天井川だ。他にも神戸市灘区の石屋川や大石川もそうかも知れない。
 川床が周囲より高いわけだから、大雨が降って川の水が溢れたりしたら大変なことになる。事実、昭和13年(1938年)には山津波と重なって芦屋と神戸では大変な被害が出た。打出は少し高くなってるので、楠町の一部を除き、ほとんど(まったく?)被害がなかったと聞いてる。



芦屋市松ノ内町1  撮影:1999年10月24日撮影


芦屋市広報課 あしや くらしのハンドブックより

トンネルの上が二ヶ所ほど黒くなってるけど
これってきっとSLの煙の跡だよ…たぶん

 阪神、阪急、それに国道なんかはすなおに芦屋川に橋を掛けて越してるんだけど、JRだけは橋で越さないで、“トンネル”で芦屋川の下に線路を通してるんだ。芦屋川だけじゃなく、神戸市東灘区の住吉川の下もくぐってる。

 ちなみに、“トンネル”って言葉が日本で最初に使われたのは、このときの記録だそうだ。
 トンネルの日本語は“隧道(すいどう)”なんだってね。そう言えばときどき見掛けるけど、拙者なんか読み方さえ判らんぞ。判りやすく“トンネル”って書いて欲しい。(笑)

 右の写真が芦屋市内のJR・東海道本線(神戸線)の線路だ。場所はJR芦屋駅のすぐ西。
 線路の上は芦屋川の堤防だ。線路の高さは周囲の土地の高さとそれほど変わらず、川の方が高い位置にあるんだ。別に自分で測量した訳じゃないけど。(笑)
 ここのトンネルはJRの開業当時は下の写真のようにアーチ型だったけど、大正15年の複々線の工事のとき。今のようなのに変えられた。
 このアーチ型のトンネルは、当時のイギリスの新聞にさし絵入りで紹介されるほどの名作だったらしい。

 子供の頃からずっと芦屋に住んでて芦屋を離れたことのない人は、「別に汽車が川の下走るなんて、普通やんか」と思うらしい。
 これって固定観念みたいなもんで、これ以外の阪神間の人の固定観念を書くと



まだこんなポストがあった
芦屋市前田町6
撮影:1999年10月29日

 ところで、この芦屋川、昔から大雨の度に六甲の土砂を芦屋に運んで扇状地を作り、氾濫を繰り返してた。で、芦屋川下流のほとりは農地の開発が遅れたようで、あまり大きな集落はなかったみたいだ。
 氾濫の度に六甲山から多量の土砂を運んだり、人工的な堤防補修が繰り返されて、今のような天井川になってしまったんだろう。
 扇状地は幕末頃まで水害に悩まされつづけてきたけど、天保年間に大きな堤が作られたりて農地が作られるようになった。また、明治時代の半ばに六甲山地の砂防工事が行われて、ようやく芦屋川もおとなしくなり、扇状地が住宅地として利用されるようになった。

 阪神電車の芦屋駅が真っ先にできたこともあってか、芦屋のヘッドクォータである精道村村役場 → 芦屋市役所は芦屋川右岸の扇状地にある。で、ごく近年まで阪神・芦屋駅周辺が名目ともに芦屋の中心地だった。


開森橋から見た芦屋川の桜
芦屋川の桜
開森橋(かいもりばし)から 撮影:2004年 4月 5日
助野商店
開森橋の東詰に古くからの豆腐屋さんがある
撮影:2004年 4月 5日







カトリック芦屋教会
芦屋市公光町5  撮影:1999年12月3日



松浜町から対岸の平田町を望む  撮影:1999年12月3日



平田町の住宅  撮影:1999年12月3日

 芦屋川の流域は河川敷も含めて、散歩するには楽しい道だ。春には両岸の桜が美しい。芦屋川の河畔ってば、まず目に入るのがカトリック芦屋教会の尖塔。教会は阪神芦屋駅のすぐ北にある。

 カトリック教会のカテドラルで結婚式を挙げ、市内の洒落たフランス料理店で披露宴をするのが今の流行らしい。
現在、信者以外の人の挙式は近くの「芦屋クリスチャンセンター 芦屋教会」を利用することになっているそうだ
 この近くで他にカトリック教会というと、西宮市の夙川(しゅくがわ)教会、それと少し離れた神戸市灘区の六甲教会くらいかな? あと、甲子園にもあると聞いている。

 芦屋教会を南に行くと、阪神・芦屋駅があり、その南が芦屋市役所。更に国道43号線を渡るとぬえ塚や芦屋ローンテニスクラブのある芦屋公園だ。
 
 芦屋川の西岸沿いの平田町、平田北町、川西町は六麓荘町に次ぐ芦屋の高級住宅地だ。もともとこのあたりは芦屋川の扇状地で土地が痩せてて農業にはあまり適さない地だったので、阪神電車の開通以降、風光明媚な平田町界隈に大阪や神戸の実業家たち、外国人たちが別荘を建てたり移り住んだりした。

 平田町あたりの古いお屋敷は阪神大震災でかなりなくなったとはいえ、いまだに古い時代に建てられた洋館が何軒か残ってて落ち着いた雰囲気がある。よく手入れされた庭木や生け垣が気持ちいい。

 けど、海に近い平田町には欠点もあった。潮風でピアノの弦がすぐに錆びてしまうのだ。(笑) TVのアンテナもすぐにだめになるし…。しかし、今は海はほとんど埋めたれたれて、わずかに河口のところにしか残ってないので、ピアノの弦に対する事情も昔よりは良くなってるかも知れないな。

 芦屋川東岸の道路は、以前はほとんど車の通らない道だったんだけど、今はシーサイドタウンから潮風大橋を通って陽光町への道になったいるので、車の通行量が多くなってる。昭和の中ごろまでは、鵺塚橋(ぬえづかばし)のところに信号、なんて考えられなかったんだけどな…。





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