国 道 2 号 線
山打出交差点西 芦屋市楠町7より東側を見る
撮影:1999年12月14日
芦屋市春日町1 楠町交差点南西角より西側を見る
まだ国道電車が走ってるから
国道のまん中に軌道がある
撮影:昭和36年(1961年)6月2日
38年半後に上とほぼ同じ場所から撮影
撮影:1999年11月27日
楠町交差点 撮影2004年 6月24日
芦屋市業平町8 本通北交差点より東を望む
撮影2004年 8月28日
写真は国道2号線山打出交差点付近だ。大きなマンションの影に打出天神社がある。
山打出って書いてあるけど、山打出って地名があるわけじゃなく、以前、この辺りに路面電車、阪神電鉄・国道線(国道電車)の山打出駅があったので、そう呼ばれ、交差点名になってる。けど、今じゃ
打出
の地名さえ消滅寸前。
山打出の駅名だけど、この交差点の北東の地名が打出字“
山之神
”だったので、そういう駅名になったのかも知れない。ま、単に本線の
打出駅
より山側にあるから、国道線の駅名を山打出にしたんだろうけど。
近畿地方以外には、国道2号線がどこを走ってるか御存じない人がいらっしゃるかな? 大阪から下関に通じるメインロードだ。ま、山陽道だな。大阪で国道1号線に繋がってて、江戸へ“下れる”。(笑)
大阪〜神戸間の国道2号線、いわゆる「阪神国道」は昭和2年(1927年)に完成し、直後に阪神・国道線が営業運転をはじめた。
それまでは阪神本線の南にある“
浜街道
”と呼ばれる街道が「国道」だったが、浜街道は今の国道2号線が出来てからは、「旧国道」と呼ばれるようになった。
旧国道は国道といっても道幅が狭く(2間?)、舗装工事が始まったのもやっと昭和9年(1934年)になってからだ。その旧国道は今じゃ
国道43号線
(第2阪神国道)になってる。
国道2号線の工事は大正9年頃から始まったらしい。芦屋川東岸での工事を見てた人の話によると、粗末なトロッコ一本で盛り土してたとか…。子供心にも「ええんかいな?」と思ったそうだ。(笑)
なお、このとき、打出から神戸の方に延びてた芦屋市内の
西国街道
(本街道)は芦屋市茶屋之町で、国道2号線に吸収されてしまった。
当時、
芦屋川
東岸の申新田(さるしんでん=今の公光町東部)から
JR芦屋駅
方面は人家はほとんどなく、田んぼばっかりで雨が降ってきたら雨宿りをするところもないほどだったそうだ。芦屋市内の国道2号線沿いはだいたいそんな感じだったらしい。
郊外に自動車が走れる広い道路と路面電車を走らしたんだな。カッコよく言えば、だっ。(笑)
その後、昭和30年(1955年)頃から国道は車の通行量がだんだん増えて、のろのろ走る路面電車はじゃま者扱いされ、…もあったろうけど、「遅いから」と敬遠され利用者も少なくなったようだ。その上、昭和40年頃には電車の乗り降りがかなり危険だったし、事実、事故も多くなった。
で、とうとう昭和49年(1974年)に廃線になってしまった。国道電車が走ってるときは、バスと電車見較べて、どっちか早く来た方に乗ったりして、結構便利だったんだけどね。
けど、雨の日、バイクで国道電車の軌道に入り、濡れた線路で前輪がスリップして転倒したことがある。^^;
なお、春日町の伊東さまから「
2号線の中央分離帯の下に未だにレールが埋まってるって知ってました?
」とメールを頂いた。少なくとも東灘区の住吉あたりでは埋まってるところがあるそうだ。
あ、そこのあなた、「夜中にこっそり掘り返して確かめてみよう」なんて考えない方がいいと思うよ。危ないからね。(笑)
西宮市郷免町4 撮影:1999年10月5日
右の写真は山打出のすぐ東、西宮市内の森具(もりぐ)の辺りだ。けど、今は“森具”の地名は町名からは消えてしまって、わずかにバスの駅名や交差点名などに残ってるだけだ。
森具地区の国道の南側、とりわけ屋敷町は震災の被害がひどく、町全体が消えてしまった。区画整理はほぼ終わったが、ここに住んでた人でも、もと、どうなってたのか見当もつかないくらい変わってしまった。
この写真、たまたま歩いて通りかかったらスピード違反の取り締まりをしてたので、記念に撮影しといただけだ。他意はない。(笑)
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