山 之 神
国道2号線、山打出交差点の北東は芦屋市になる前の小字名は“山之神”と言った。昔、左の地図の“山ノ神”の北西の角に古墳があって、その上に山之神の石の祠(ほこら)があったそうだ。打出の山之神の地名はそこから来てると言う。
で、毎年端午の節句の日(田植え前?)に付近の農家は着飾った牛を連れて山之神の祠に詣で、牛を曳いて祠を3周してもらう習慣があったそうだ。だから、“牛廻し塚”とも呼ばれたらしい。芦屋市史には“牛廻し塚古墳”って書いてある。
芦屋市史は「尼崎市の武庫之荘に“牛廻”という小字名があって、同じ伝説を伝えてるから、阪神間に共通の信仰があったらしい」と書いてる。
箕面市の西国街道の瀬川の本陣近くに“牛廻し石塔”ってのがある。更に同じ箕面市に自然石に“如意宝珠天”と刻まれてた“牛廻しの石”もある。ここでは、「この石の回りを牛が3回まわると昔の飼い主を忘れる」と言われてるそうだ。
更に、大阪府交野(かたの)市にも“牛廻しの石”ってのがあって、昔は1月3日に牛を連れてきて「今年もまた1年、牛が健康でよく働きますように」と祈って、この石の周りを何度も回ったってことだ。
しかし、祠や石のまわりじゃないけど、田んぼの中で牛を3回まわすってのは、東南アジアのある山岳少数民族の間にも見られると物の本で読んだことがある。本には「日本と同じ習慣があるので驚いた」って書いてあった。
だから、この習慣は阪神間どころか、東アジアに共通の信仰かも知れない。あるいは阪神間の人間って、その辺からやって来たのだろうか? それとも、稲作と一緒にそういう信仰も伝わったんだろうか?
で、地図をたよりに山之神の祠のあったって場所に行ってみたけど、祠はもちろん、古墳のあともまったく確認できなかった。
場所は、右の写真の布団の干してあるあたりのはずだ。国道2号線山打出交差点の北で、JRの踏切の南東の角になる。ちょうど金津山古墳と親王塚古墳の中間あたりになるかな?
上の地図は昭和8年(1933年)ころ、誰かが手描きしたものだが、線路脇の道路が直角に曲がってないことから、まだこの頃には牛廻し塚が残ってたのかな?って思う。
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撮影:1999年10月19日 |
ところで、ここのJRの踏切には左のような看板が掛かってる。JR内部では、いまだに“打出村踏切”が正式名称なんだろう。(爆)
ちなみに、打出村が“精道村打出”になったのは明治22年(1889年)、“芦屋市打出”になったのは昭和15年(1940年)だ。開通(1874年)以来、名前を変えてないんだろう。にしても、100年以上も“村”を取らないでよっく頑張るよなぁ。伝統の打出村の名前を残してくれてるんだから、別にいいけど…(笑)
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