打 出 市 場 跡


昔、ここが打出市場の北側入り口だった
元打出市場北側入口
芦屋市打出町2  撮影:2004年(平成16年) 2月21日

昔、ここが打出市場の南側入り口だった
元打出市場南側入口(43号線側)
芦屋市打出町2  撮影:2004年 2月21日

昭和36年の打出市場
打出市場南側入口付近
撮影:昭和36年(1961年)6月2日


 打出市場跡なんて、まるで遺跡のような書き方をしなければならないのが残念だ。別に弥生時代の市場跡なんかじゃない。ついこの間までここに打出市場があったんだ。
 弥生時代や古墳時代じゃないから、今のうちに記録しとかないと跡はきれいに片づけられるから、まったく判らなくなってしまうだろう。ま、地図は残ってるだろうけど…。

 昔の打出市場の場所は阪神・打出駅の東100メートルほど、線路の南側だ。市場跡の東隣に親王寺がある。
 上の写真の真正面が昔の北側入り口、ど真ん中にブロック塀が建ってしまってる…。下の写真が南側入り口の跡だ。南側入り口のところにはまだ市場があった当時の舗装が残ってた。


 市場は昭和23年(1948年)に出来て、一時は36の店舗があったそうだ。それまで打出の住民は、はるばる宮川沿いの西国橋近くにあった芦屋市場行ってたので、打出市場が出来てずいぶん便利になった。

 この市場はずいぶん繁盛してたようで、市場の北の入り口にあった阪口さんってたばこ屋さんは阪神間随一の売上を誇ってたこともあるそうだ。

 けど、残念ながら打出市場もだんだんと売上が落ちていった。50メートルほど西にある打出商店街にスーパーが出来、そちらに客を取られたのが原因のようだ。幅の広い国道43号線が出来て、南の大東町や南宮町の人が来にくくなったのも影響があるだろうな。それでも1970年代まではわりと元気だった。

 でも、市場内の店も1軒減り2軒減り、北東の角がマンション用に売られたりして、1995年(平成7年)の阪神大震災前にはとうとう3軒になってたそうだ。そこへ地震だ。残ってた店も全壊して完全になくなってしまった。

 モノクロの不鮮明な写真だが、これが打出市場だ。市場の南東側、南宮町と大東町との境目付近から見たところだ。入口の屋根にあるのは「打出市場」と書いたノボリだと思う。昭和36年の撮影だが、この頃が打出市場の絶頂期・最盛期だったはずだ。
 火の見櫓も確かにあった。市場の左(西)側には、今もその場所にある芦屋市消防団打出分団の建物が写ってる。前の道路はまだ工事中の国道43号線だ。

 偶然、工事中の国道43号線の写真の片隅に小さく写ってたので、荒れた写真になるのを承知で部分伸ばしした。



串昌
撮影:2004年 2月21日
串昌の店内
打出市場の和菓子屋さんだった店
撮影:1999年11月3日


 写真を撮ったりするためにうろうろしてたら、1軒だけもと市場のこの場所で商売をしてたってお店があった。でも、商売は変えられたそうだ。

 左の写真のお店だ。もとはこの場所、市場の北西の入り口で和菓子屋さんをやっておられたそうだ。
 入り口のところはパン屋さんで、和菓子屋さんは2軒目だったような記憶もあるけど、ともかく確かに和菓子屋さんがあった。餅や5月の節句のチマキやかしわ餅が美味しかったのをはっきりと覚えてる。
 今は店の入り口も西の方にして串カツ屋さんをやっておられる。けど、店のカウンターの上には、昔の和菓子屋さん時代のお菓子の型が飾ってある。

打出市場付近の地図
芦屋市広報課発行「プロムナードあしや」(S60(1985))
裏面の「芦屋市全図」を流用





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