札 場
芦屋市春日町12 撮影: 2002年9月1日
道標のある東の方から撮影
打出の札場があったと思われる場所
震災前、鳴尾−御影線の出来る前の略図
西宮の札場跡 今は交番と集会所とがある
西宮市本町5 撮影:1999年12月21日
西宮の札場の西向にある蛭児大神御輿屋傳説地
西宮市本町6 撮影:1999年12月16日
道標
から約百メートル西に“札場”(ふだば)という屋号を持つ家があったそうだ。だから、このすぐ近くに打出の札場
※
があったと思われる。
昭和50(1975)年の地図で見ると、札場は街道の南側にあったようだ。この辺りは、鳴尾−御影線が出来たり、震災後に区画整理が行われて、大幅に道筋が変わったので、わざわざ古い地図を参考にした。
玄関脇にある石柱に“札場”とか“ふだば”の文字があったのかな? と思ったんだけど、そうではなくこれは牛馬を繋ぐものだったらしい。
この場所は
阪神・打出駅
の東300メートルほどのところだけど、この辺りが旧打出村の中心地だったとようだ。
西宮の広田神社の南に“札場筋”という道があるが、
芦屋市立美術博物館
で「その札場筋の南端に今でも札場のあとがある」と教わった。
で、さっそく行ってみた。札場筋と浜街道の交点に違いないと捜すと、それらしい場所があった。そこには“蛭児大神御輿屋傳説地”って書いた“えべっさん”関係の碑が建ってる。
しかし、“札場あと”とは書いてない。そこで道を隔てた反対側の交番で聞いてみたら「向かい側の、あそこだと思うけど、自信ありません」ってことだった。そりゃまあ、昔の札場なんて警察の管轄じゃないもんなあ。
上の書いたように、西宮の札場はその名前と機能からして、間違いなく札場筋と昔の街道との交点にあったはずだ。もう一度芦屋市立美術博物館に行って西宮の古地図を見せてもらうと、札場跡はなんとさっきの交番の付近だったのだ。(笑)
で、ここを通り過ぎてまっすぐものの5分も行くと、西宮神社の大きな門に突き当たる。重要有形文化財の赤門だ。つまり、旧国道を真っ直ぐに行くと自動的に“えべっさん”の門の中に誘導されるシカケになってる。さすがえべっさんだ。(笑)
西宮神社拝殿
西宮市社家町1 撮影:1999年12月21日
えべっさんの福娘
西宮市社家町1 撮影:2001年1月10日
えべっさん(えびす神)について書き出すと長くなるからたいていにするけど、もともと夷は遠く海の彼方からやってきた神さま、すなわち海の守り神だった。
それがいつの間にか市場の守護神、すなわち商人たちの守り神に重点が移り、今のような鯛を抱えてにこにこ顔のえびすさまが定着した。西宮には昔から港(西宮津)があったんで、ここに海の神さまをお祀りしたんだろう。
西宮神社は元々はもっと北にある広田神社の末社だったんだけど、ここで傀儡師(くぐつし)たちがやった人形芝居がウケて広田神社より有名になったようだ。
勝手な想像だけど、傀儡師たちも海の向こうからやってきた夷、すなわち渡来人もしくはその末裔だったのかも知れない。
西宮神社の本殿は“三連春日造”って独特の造りになってるんだけど、うまく撮れなかったので手前の拝殿の写真にしておく。(笑)
境内はかなり広い。
打出天神社
なんかとは大違いだ。まるで京都か奈良の社寺に行ったような気分になる。さすがに西宮は都会だ。甲子園球場だってあるもんな。(笑)
西宮神社(えべっさん)から打出までは、ゆっくり歩いて30分ちょっとだ。打出はすぐ近く、と言える。
※ 札場とは、芝居の札を売るところの意味もあるけど、この場合は
高札を立てる場所
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