阪神電鉄・打出(うちで)駅付近 −2−


昭和38年の打出駅北側
打出駅北側 奥に打出天神社が見える  撮影:昭和38年(1963年)

打出駅北側
上の写真とほぼ同じ場所 その36年後  撮影:1999年10月23日

打出商店街 南側より
打出商店街(南側の国道43号線より)
撮影:1999年12月14日

 左のモノクロ写真は昭和38年に撮ったものだ。別に記録に残そうと撮ったんじゃなく、フィルムが余ってたから撮ったような記憶がある。(笑)

 こうしてみると、木の電柱や焼き板の塀が懐かしい。塀の奥には土蔵が見えるなぁ。また、よく見ると打出天神社階段の手前に鳥居が見える。けど、吉川さん、柴田さん、加瀬さんはとっくの昔に引っ越されて、下の写真には家はもうない。

 正面の白いアパートは地震で被害を受けた(半壊?)けど、ちゃんと残った。構造が簡単で、しかも全体が軽いから大丈夫だったって話だ。

 左の一番下の写真は打出駅南の“打出商店街”だ。西宮以西の阪神沿線の商店街や市場は阪神大震災で壊滅的な被害を受け、多くが消えてしまったに等しい、あるいは復興までかなりの時間が掛かったけど、ここの商店街は早くに完全復興した。
 場末で近くに大きな商業ビルがないのが幸いしたのか。(笑) また、震災前にアーケードが新しくなり、それがほとんど無事だったってのもあるかも知れない。しかし、何よりも商店街としてのバイタリティを失ってなかったってのが一番の理由だろう。震災前から、改修されて新しい店舗が多かった。

 本当はオーソドックスに賑わってる時に商店街の中に入って写真を撮るべきだろうけど、近所の奥様方の視線を浴びることになるし、お店の中から「なにしてはりますねん」と声をかけられるかも知れない。拙者はシャイで無口ではにかみ屋だから、外から撮ったんだ。別に伊藤ハムの宣伝をしたかったわけじゃない。(笑)

 観光地とか名所旧跡、あるいは旅先でならカメラを振り回すの全然抵抗ないけど、近所でってのは恥ずかしいものがある。^^; 肉屋の中筋さんに行ったついでに記念撮影、なんて聞いたことないぞ。(爆)
 だから、こういうなにげないところの写真って、意外と残らないんだと思う。

昭和31年 打出駅と神戸銀行
芦屋市春日町3より
撮影:昭和31年(1956年)1月1日

 右の写真は春日町3から南の打出駅方面を撮ったものだ。昔、小槌町14-12の南側にあった神戸銀行(→ 太陽神戸銀行 → 太陽神戸三井銀行 → さくら銀行 → 現 三井住友銀行)・打出支店のビルなどが見える。
現在は区画整理されて神戸銀行のあった辺りは鳴尾−御影線になってる。南向きに走ってる車はオート三輪だろう。今はグリーンに舗装されてるこの道は、北行き一方通行になってて南向きには走れない。

関西西宮信教金庫打出支店閉店のお知らせ
撮影:2002(平成14)年8月5日
 打出の銀行と言えば、打出駅の南東、国道43号線の近くに関西西宮信用金庫(旧関西信用金庫)打出支店があったけど、2002(平成14)年3月25日に尼崎信用金庫・打出支店に統合されてしまい、店舗は国道43号線の南、ピーコックの向かい側の浜町に移ってしまった。

 打出駅の北側に住む我輩にとっては不便になった。しかし、今世紀になってからはオンライン・バンキングも普通になったし、コンビニでも預金の払い出しが出来るからなぁ…。

尼崎信用金庫 打出支店
打出の銀行
芦屋市浜町9-13 尼崎信用金庫 打出支店
撮影:2002(平成14)年8月19日



 ところである日、「打出で昔から残ってるお店ってどことどこかなぁ…」と考えてみた。打出商店街なら、お寿司屋さんの「美喜」さんと「はもりや」さん、八百屋さんの「瀬川」さん、「ウチデラジオ」、肉屋の「なかすじ」さん…、そんなもんかなあ。たぶん、それらのお店も戦後にお商売を始められたはず。

 駅の北側の通りは、もともとお店が少なかったんだけど、打出薬局と大西酒店しか残ってないなぁ…。駅のすぐ北にあった、たばこ屋兼果物屋の「小槌屋」さんはタバコの自販機は置いておられるものの、「小槌屋」さんの屋号は既に見あたらない。
大西酒店
大西酒店 (入り口は自動ドアではないので、要注意 ^^;)
芦屋市打出小槌町13-10
撮影:2002年10月15日


打出駅北側の地図
昭和40(1965)年頃の打出駅北側の地図
大西酒店でお借りしたものをトレースした
昔、配達用に使っておられたのだろう
 打出薬局もあるけど、駅の北側は調剤薬局になってて、普通の風邪薬とか胃腸薬とかは駅の南側の店舗で扱っておられる。
 してみると、戦前からの打出のお店は「大西酒店」だけかも知れない。戦災を免れたってラッキーな面もあるが、貴重な存在だ。駅の南の若宮町や南宮町あたりに関しては無知。

 大西さんで聞いてみると、お店の開業は昭和4〜5年(1930年頃)だそうで、開業当時、本業は燃料屋さんだったそうだ。
 戦後生まれの拙者は大西さんで燃料を扱っておられたのは知らないが、電気冷蔵庫以前の時代には氷を扱っておられたのは覚えてる。当時の阪神間では酒屋さんが燃料や氷を扱うのは、そう珍しいことではなかったようだ。

 我輩も大西酒店の初代のご主人のことをおぼろげながら覚えてる。背が高く鼻の高い、天狗のような容姿の方だった。なかなかの頑固者で打出の名物だったらしいぞ。

 ここは、もともと大西さんのお店として建てられたのではなく、昔は打出郵便局だったそうだ。お店の中の入り口近くに太い梁がさがってるが、これが郵便局当時のカウンターの名残らしい。

 現在の打出郵便局は、たまたま大西酒店のすぐ西隣だが、打出郵便局が西に移転したから大西さんの店が出いたわけではない。
 打出郵便局は昭和の初めにここから北の打出小槌町14の元町ケーキの南側、今 jardin du I'llony って花屋さんのあるところに移転し、それから春日町1の打出神社社務所に東隣に移り、その後今の打出小槌町13-9 に落ち着いたんだ。
 現在の正式名称は「芦屋打出小槌郵便局」と“小槌”が入る。

 


打出駅から打出天神社付近の古い地図

 下の地図は昭和8年(1933年)頃のものと思われる。この地図から、当時天神さんの辺りの地名が“馬場”だったことが判る。誰かがせっせと手書きで写したんだろうな。かなりいい加減なところもあるみたいだけど、当時は複写機なんてなかったから、まったくご苦労さまだ。


打出駅周辺の古い略図




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